熊野市議会議員久保さとし・・国土を守ること

この夏、文化交流センターで開催されていた「熊野びとの戦記」を拝観してきました。
明治以降、国を守るという大義のために戦火に散った英霊の記録がそこにありました。
私の叔父二人も戦死という悲しい家族の歴史がある中で、数々の展示を拝見しながら「国を守る」と言うことを改めて深く考えさせられたところです。
ただ、一方で思ったのは、国を守るということが武器を持って戦うということだけなのだろうかということでした。

平和ボケしていると言われる現代、日本という国が政治的にも経済的にも迷走していると言われています。
そしてグローバリズムという言葉の隠れ蓑にした多国籍企業や、特定の国の資本が日本の国土や経済に侵食している事実に手をこまねいていて、国益を守ることすらできないでいることも事実です。

例えば、この大切な山が外資に買いたたかれているという事実は、国土が外国人の所有になってしまうというとんでもない事態を引き起こしつつあります。
これは、都市偏重の政策を続けてきた結果、人口の流出によって過疎が進み山を守れなくなったということが起因しています。
まさに、国土を守るという意味での国防の危機がそこにあるのです。

言い換えると、国防という視点での国を守るということだけでなく、国土を保全するという意味での国を守る、それぞれが住んでいる地域を守ることも現代の私達に課せられている大義では無いかと考えます。

杜甫の詩に「国破れて山河在り」というものがあります。
戦いに敗れて国はぼろぼろになってしまったが、山や川はそのまま残っている・・という意味だそうですが、経済戦争で疲弊した都会にそのよりどころとなる山や川はもうありません。
そして、そのよりどころを田舎に癒しを求めて都会人は訪ねてくるのですが、このままでは、その山々も日本のものではなくなってしまうかもしれないのです。

また、都会から田舎を訪れる方達に、その田舎を守っている人たちへの敬意はあるのでしょうか。
コロナ禍の中、緊急事態宣言下に置いても多くの都会人がこの地を訪れていますが、開放感からか、マナーという言葉は影を潜め、最低限の感染防止対策もせず観光地を闊歩し、ゴミを捨て、施設が閉まっていることへの不満を言い・・そんな人たちがやたら目立つこの夏・・それはほんの一部の人たちの行為とはいえ、そこに田舎に対する敬意のかけらもありませんでした。

では、私達田舎に住む者も、私達を育んでくれている自然に敬意を払っているのでしょうか。中山間地域で先人が残した山や田畑を守り暮らす人たちに、敬意を払っているのでしょうか。
行政効率の視点から、限界集落の村じまいを当然として手を差し伸べない行政・・その結果、山が荒れ農地が荒廃していくことは、自然の摂理である森里川海の循環を大きく損なうことにつながります。
国を守ること=国土を守るとすると、都会が無くしてしまった森里川海の循環を守ることが大切であって、その森里川海の循環の中に身を置き、その摂理をしっかりと守っていく人たちを育んでいくことが、今の私達に課せられた国土を守ると言うことでは無いでしょうか。

紀伊半島でも外資に取得された山林があるという話が伝わってきます。
熊野市でも例外では無いという噂もあります。国家間の条約が災いして国にそれを防ぐ法律ができ無いのであれば、不平等なその条約から一度離脱してでも改めて法制化を急ぐ必要があるのではないでしょうか。
それを国に働きかけることも、地方自治体の責務では無いかと考えます。

里が廃れれば森が荒れ、森が荒れると川が溢れ、川が溢れると海が汚れる・・そして・・

未来に誇れる国土を孫子に残して行きたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・決算審査特別委員会

15日午後から16日にかけて、決算審査特別委員会において令和2年度の決算審査を行いました。
例年なら議員全員が委員となって行うのですが、コロナ禍ということで、6人の議員が選任されこれにあたりました。
もちろん私もその中に入れていただき、予算執行したすべての事業について審査をさせていただきました。事前に決算書をチェックして、質問することを前もって用意しておいたので、自分自身は指摘しないといけないことはしっかりとできたのかなと思います。

ただ、事業によってはその成果・効果があまり感じられないものや、市民への成果の還元が感じられないものもあって、少し厳しい言葉を発してしまい職員の皆さんに嫌な思いをさせてしまったかもしれません。
職員の皆さんもその事業のありかたや成果・効果について疑問を持っているのかもしれませんが、それがそのまま流されてしまっているのであれば、結果的に市民本位の仕事が出来ていないことになります。
耳障りの良いことだけを上に伝えることだけでは、指導的立場にある方も正しい判断はできないし、否定的意見も上に伝えることも必要では無いかと思います。
ただ、それを受け止める上司の懐の深さが無ければそれはできないことになります。
ですので、私達議員は、職員が上に言えないことを代わって言うこともその任務の一つであって、予算審査、決算審査などにおける苦言や提言は、決して職員に向けたものでは無いことを理解していただきたいと思いますし、今回向けられた指摘については、しっかりと上に伝えていただきたいと思います。

開かれた自治体とは、市民にむけて開かれたものであると同時に、その組織内において自由な議論ができる自治体でなければならないと思います。もちろんその自由な議論は節度ある姿勢が必要ではありますが、忖度が横行する閉鎖的な組織であっては市民サービスへも大きな影響を及ぼすことにもなります。
こういう委員会などで向けられた議員からの声は、職員の方たちだけに向けられたものでは無く、熊野市という自治体に向けられたものと理解して、繰り返しになりますが、委員会の場だけのことと済まさずに上に伝えるとともに、しっかりと組織内で検証して今後の組織運営、事業運営に活かしていただきたいと思います。

とにもかくにも、今回の委員会に対応された職員の皆さんお疲れさまでした。
そして今後とも熊野市のために頑張ってください。

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熊野市議会議員久保さとし・・・9月定例会代表質問

新型コロナウイルス感染症の感染拡大が止まらない中、緊急事態宣言が三重県にも発令されたことから、諸般の状況に配慮し、今定例会においては代表質問という形で一人が登壇して質問を行うことになりました。
私が新型コロナウイルス感染症対策特別委員会委員長ということから、その任を託され、コロナ対策を中心に代表質問をさせていただきました。

質問事項は、新型コロナワクチン接種に係るもの、保育・教育現場での対策、感染症対策、経済対策にかかるものの外、7期目の市政運営に立候補を表明した市長の政治姿勢に関わるものであり、7名の議員から委ねられた質問事項をほぼすべて発言をさせていただきました。

執行部からの答弁は、ワクチン接種に関してはほぼ順調に実施されていること、保育・教育現場においての対策もできるかぎりやっていること等の答弁があり、ワクチン未接種者への対応についても十分な配慮がされている旨の答弁がありましたが、より慎重な対応をお願いしました。
ワクチンパスポートの今後の活用については、国の方針に従って行うとのことでしたが、未接種者の差別につながらないよう配慮が必要であること、また、感染症対策については、県が行うと言うことで、市としては濃厚接触者への支援を行うとのことでしたが、県との情報共有をより深めることを申し入れたところです。

また、経済対策については、市独自の支援策もいろいろやっているとされていましたが、国・県の支援策や市独自の商品券事業の恩恵を受けない事業者に対する支援については、その調査も深く踏み込んでいなことこから、改めて調査を行い検討して抱くようお願いし、了承していらだきましたが、果たしてどこまで踏み込んで検討していただけるのか‥今後もしっかりと注視していきたいと思います。

最後に託された質問は市長の今後の市政運営についてのものでしたが、答弁を聞く中でやはり行政主導ということが強く感じられたことから、市民参加の必要性を訴えて、市長の思いをお聞きしたところ、市民の声を聞く機会を持ちながら進めていくとの答えが得られました。
また、現在進行中のアグリパークなどのプロジェクトにおいても、その中に市民(特に農業者)の参画の必要性を訴えたところ、その必要性については理解を示していただいたように思います。
ただ、これまでも、前向きな答弁があっても、後日それが実現しないこともあることから、今後も「市民が主役」という理念から外れないよう見守っていきたいと思います。

今日の夕刊にも質問の内容が一部記載されていましたが、紙面の都合もあって冒頭のやり取りだけがクローズアップされているので、やはり市民の皆さんには再質問でのやり取りをリアルに見て感じていただきたいと思います。その中にこそ、執行部・市長の本音であったり、議員の技量のようなものを感じることができるのかと思います。
今日は、多くの方々が傍聴に来ていただいていて、私一人の質問でしたが、そのやりとりをお聞きいただきました。
また、TVでも放映されていることから議場に来られなくても、画面を通して様子はうかがい知ることができます。今日も「見たよ・・」という連絡も多数いただきましたし、執行部の答弁や私の質問についてもいろいろご意見を頂いたところです。
市議会のホームページでは、今議会だけでなく以前の議会の録画も見ることができますので、時間を見つけて見ていただければ幸いです。

市政への市民参加は、市のイベントや会合に参加するだけでなく、議会の傍聴などを通じて、市議会において執行部と市議会がどう関わっているのかを知っていただくことも必要かと思います。
今日、傍聴していただいた方の中には、初めての方も多々おられたようですが、さて、どのように感じられたか・・お聞きしてみたいですね。


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熊野市議会議員久保さとし・・9月4日・紀伊半島大水害

滝のような雨が前日から続き、避難してきた長男夫婦と4人で停電で真っ暗になった家で、大きな雨音に眠れない夜を過ごしていた時、家の壁に何かが打ち寄せる音を聞き雨戸をあけると、家のそばを流れる小さな谷川が溢れて床下に流れ込んでいました。

家族を二階に避難させ、カッパを着こんで外に出て家の周囲を確認・・なんとも言えない大きな音がして懐中電灯を原木市場の方向に向けると、市場の丸太が浮いている・・大又川が氾濫してるようでしたが、真っ暗でそれは見ることができませんでした。
そして、また轟音が響き・・これ以上外にいては危ないと二階に避難・・
午前4時を過ぎ、少し薄明るくなってきたので再度外に出て集落の様子を確認に・・原木市場の丸太の上から中州を見ると、樹齢200年近いと言われていた大木が無くなっていて、目の前で何本かが倒れて流されていくのが見えました。

そこで冠水した家の裏の市道を愛車の4WDで突破して町内の状況確認に走りましたが、その惨状は57年生きてきて初めて見るとんでもないものでした。
市役所の飛鳥出張所も床上浸水し機能不全状態・・すぐに写真を撮り、携帯で市役所へ報告・・が、その市役所は地下の電源室が水没し、電源を失っているとのことでたいへんな状況であるとのこと・・道路は寸断され市街地への交通手段は無くなり孤立状態に・・
そこで、飛鳥町在住の職員を招集し被害状況の確認をして、主張所に備蓄してあった災害対応の水と食料を避難所に持って走るなどの作業を・・
幸い人的被害は確認されませんでしたが、家屋への土砂流入や浸水は数知れず救援を要請したのですが、被害が紀伊半島全域に及ぶものであったことから、消防団の皆さんの力に頼るしかない状況でした。
その日の夕方には、携帯の中継局が非常用電源の燃料が切れたことですべて不通になり、我が家に残していたアナログ電話機だけが市役所との唯一の連絡手段になってしまいました。

職員の年長者であったことから、その後2日間数少ない職員に指示しながら町内を走り回り、3日目にやっと山道を迂回して市役所へたどり着き状況報告に行くことができたのですが、その市役所もたいへな状況で愕然としたことを覚えています。
その後3カ月余りは作業服で出勤し、市内のあちこちへ土砂撤去作業に出かけたり、救援物資を届けたり・・そして浸水家屋の消毒作業に走り・・もう無我夢中の数か月間でした。

その時の覚書がパソコンにいくつか残っていますが、読み返すたびにたいへんな経験をしたなあと思い返しています。

その中で忘れられないことが一つ・・大阪の友人から大量に送っていただいた食料を、ある集落に届けた際、その中にあったレトルトカレーを食べた高齢のおばあちゃんが「こんなうまいカレー食ったのは初めてや・・」と言ってくれたこと、そして「こんなにたくさんの人といっしょに食事したのも何十年ぶりやろ・・いつもは一人やさかいなんか嬉しいわ」と言っていたこと・・

あれから10年・・その記憶は自分の中では消えることなく残っていますが、孤立して連絡手段も途絶えた中で、指揮してくれる人がいないという極限の状態での災害対応は、非常識な言い方かもしれませんが、自分の中での危機対応を高めてくれた経験でもありましたし、自分が生まれ育った熊野市という故郷への「愛」を確認できた出来事でもあったように思います。

この日を忘れてはいけない・・9月3日から4日に日付が変わる時・・改めて心に言い聞かせていますが、果たしてあの経験を行政は活かしているのか・・そしてしっかりと備えているのか・・
「災害はおこって見ないとわからない」とうそぶいていたある方の言葉が、いまさらながら空恐ろしく思い出されます。


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熊野市議会議員久保さとし・・産業振興への自治体の関わり方

自治体が直接、または間接的に経営に関与している事業体については、第三セクター方式、財団方式、公社方式と形態を変えながらこれまで多くの事例が全国で展開されてきました。
しかしながら、その多くが武士の商法、親方日の丸運営と揶揄されるように、多額の赤字を計上しては破綻に追い込まれたり、エンドレスともいえる行政支援によってなんとか維持されているという実態が報告されています。

熊野市においても「一般財団法人熊野市ふるさと振興公社」「株式会社くまの農業振興公社」「熊野市観光公社」を設立し、ふるさと公社、農業公社のトップは市長が兼ね、観光公社においても全額市が出資した会社と言うことで、すべて市の管理下にある組織と言ってよいのかと思います。

この熊野市における事業体においても、ご多分に漏れず実質的には赤字経営という状況であり、補助金、委託料、指定管理料など市が支援することで、なんとか運営が行われているという実態です。
このことについて市長は、雇用を拡大するためということからも、直接的に運営することは間違いではないとされています。
確かに、これらの事業体で就業されている市民は少なくないことから、その面での成果は上がっているのかもしれませんが、ではこの事業体で正規雇用されている職員がどれだけいるのか、また、その給与で一家の生計を立てられるだけの収入が確保されているのかという面からみると、雇用機会の確保という大義が少し薄まって見えるのは私だけではないはずです。

私は、自治体はこういう事業体については、設立時の初期投資にかかる経費負担や、期限付きの運営費負担をしていくことはやぶさかではないと思っています。
ただ、経営責任者と自治体の長が同じであるなど、行政が直接関与する経営形態では、いつまでも自立は望めるべくもなく、エンドレスの経営支援を行っていかなくてはならなくなることは自明の理であるのかなと感じます。
また、経営の最高責任者が経済界のノウハウを実体験してきた方でないと理論が先走り、現状に即した対応ができなくなります。

そこで、経営責任者を民間からの人材登用などを行うことで行政から切り離し、成果主義的な経営によって自立させる方向性を示すこと、そして支援の形を千枚田保存などの文化遺産の維持、建物などの指定管理料などに特化して支援を切り離し、生産・販売部門の独立採算制を促していくことも必要では無いかと考えます。

いうまで無く、現状のように収入で補えない経営経費を補助金等の形で市費で補っていく形から脱却して行かないと、人口が減り自主財源が先細りしていく中で、一般市民へのしわ寄せは決して少なくないと考えます。
そろそろ、取り返しのつかない状況になる前に、民間への事業委託も視野に入れた経営の見直しが必要と考えますが、皆さんはどう思われますか。


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熊野市議会議員久保さとし・・緊急事態宣言下//熊野市は・・

全国的な新型コロナウイルス感染拡大が止まらない中、三重県も感染者が激増し、とうとう「緊急事態宣言」の対象域とされることが決まりました。
期限は27日から9月12日までとなる予定です。

熊野市においては、8月17日に適用された「まん延防止等重点措置」を受けて、20日に紀宝、御浜町長と連名で、注意喚起のメッセージを発表されていますが、 「緊急事態宣言」 となると、市民へのより強い自粛喚起が求められることから、市民へのこれ以上のメッセージが出されるのかなと考えます。
また、市外からの入込客への対応もこれまでのようなものではなく、より踏み込んだ強い姿勢で臨むであろうと思われますが、そのためには、市が直接関与する観光施設などの営業形態についても、一歩踏み込んだ検討が必要になると思われます。
既に、伊勢市ではおかげ横丁が宣言解除まで休業することを発表するなど、各地でこれに対する対応が始まっていますので、この地域においても厳しい決断が求められることになるかもしれません。
過剰な反応は避けるべきかもしれませんが「緊急事態宣言」 という非常事態においては「市民を守る」ということを第一に、できるかぎりの手を打っておくべきではないかと思います。

さて、この事態を受け、観光産業などはまた大きな影響を受けることとなりますが、今回の 「緊急事態宣言」 だけでなく、昨年から続くイベントや祭りなどの年中行事などの相次ぐ中止は、それにかかわる事業者にとっては死活問題となっていますし、感染を警戒した宴会・外飲みの自粛は飲食店だけでなくこの地域のいろいろな事業者に影響を与えていて、地域経済全体の低迷にもつながっています。
現在、飲食店を中心とした事業者にいろいろな支援策が講じられていますが、中には支援の対象とされていない事業者も少なからず存在しており、事業の存続さえも危ぶまれる事業者も出てきています。
国の支援制度にないから・・とか、県の支援策のメニューにないから・・ではなく、このことによって影響を受けるすべての事業者への支援について、今こそ市独自の支援策を検討していくべき時では無いでしょうか。
今、このような非常事態を受けて熊野市に必要なのは、アフターコロナを見据えたハード事業を後回しにしても、まずは現在危機に瀕している市民・事業者を救うことだと考えます。

熊野市においては、今一度実態を直接調査し、どのような事業者、事業体が影響を受けているかの現状をしっかりと把握して、市民に寄り添ったスピーディな対応をしていただきたいと思います。

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熊野市議会議員久保さとし・・机上の空論と現場主義

机上の空論という言葉があります。頭の中だけで考え出した、実際には役に立たない理論や考えのことですが、国の政策や自治体の施策の中にはけっこうこれが多いことが指摘されています。

それは、現場を知らない指導者や官僚、そして学識経験者と言われる方達が、自分たちが得るバーチャル世界での情報だけで作り上げてしまうことが原因であると言われています。
地方自治の現場においても、現状をしっかりと把握せず、コンサルタントやエージェントの耳打ち、そして有益そうに思える情報を真に受け、現場で産業に従事している方達の意向も聞かないまま、思い込みだけで事業を強行していく事例もけっこう見られます。

そこには、現場からの声の積み上げ・・すなわちボトムアップと言った手法は影を潜め、トップとその周りのイエスマンだけの思い込みで事業が行われ、さしたる成果もあげられないまま予算を浪費していく・・そしてそれだけでなく、そのしわ寄せは民業圧迫と言って形で表れたりという結果ももたらしているともされています。
そして、そこに費やされているのは紛れもなく「公費」なのです。

京セラの創業者「稲盛和夫」さんの経営哲学の中に、現場主義に徹するという言葉があります。
「ものづくりの原点は製造現場にあります。営業の原点はお客様との接点にあります。何か問題が発生したとき、まず何よりもその現場に立ち戻ることが必要です。現場を離れて机上でいくら理論や理屈をこね回してみても、決して問題解決にはなりません」
とされていました。

行政に置き換えると、やはり市民との対話、協働が原点であり、その中から生まれる問題は現場において解決策が見いだされるということではないでしょうか。

これまでも何度も言ってきましたが「現場主義」こそが、地方自治の原点だと考えますが、皆さんはどう思われますか。

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久保さとし・・送り火に想う

お盆なので・・少しだけ、個人的なことを書かせてください。

父と兄の御霊を送り火を焚いて送りました。1歳で逝った兄、32歳で逝った父・・もちろん兄貴のことは記憶にはありませんが、私と弟に似てたと叔母から聞いてますので、私と弟の中でいっしょに生きてきたのかもしれません。

父の記憶は4歳ごろから・・けっこういっしょにいたので、父との思い出はたくさんありますが、何故か笑っている父の顔が思い出せません。母や本家の従弟たちに聞くと、とても明るくて笑顔の絶えない人だったそうですが、7才までいっしょにいたのに、何故か笑顔の顔が記憶に残っていません。父はきっとこの世に未練を残して逝ったと子供心に思ってましたので、もしかすると私の心の中から、親父の笑顔を消してしまったのかもしれないですね。

紀和町の三和小学校で教師をしていた父・・終戦後、昭和26年頃まで教職でした。
健康診断で肋膜炎と診断され結核の疑いをかけられたことで教師を辞して飛鳥に戻ってきました。
三浦診療所の看護婦だった母との間に出来た第一子を突然死で亡くし、そして病で生きがいとなっていた教職を終えることになり、おそらく想像もできないほど落胆してたのではないかと思います。
しかし病もすぐに完治し、その後は旧制中学時代林業を学んでいたこともあって山林業に・・けっこう商売もうまくいっていたそうなのですが、同業者に騙されて多額の負債を抱え廃業という憂き目にあいました。
そして、できたばかりの運送会社に勤める傍らや製材所の会計事務を引き受けるなど働きづめに働き、母も市の診療所の看護婦として働いて生計を助けるなど夫婦で頑張っていたようです。
その後、市街地にあった会社の新規事業の責任者として働くようになり、少し生活も安定してきた時、突然の病に見舞われ、担ぎ込まれた医院の医師の誤診による手遅れで一夜にして帰らぬ人となりました。
朝方、同居していた祖母が、訃報を受け取り声を殺して泣いていたこと、明るくなって、戸板に乗せられて家に帰ってきた父の姿は今も脳裏に残っています。

もし、あの時誤診を受けなかったら、親父はどんな人生を送ったのか、私達家族はどう生きてきたのか・・
親父が長生きしていたら、私は熊野へ戻ってきただろうか・・果たして今の家族の存在ははあっただろうか・・
不運続きの中で早逝した親父はさぞ無念だっただろうし、生きて孫やひ孫を見たかっただろうなと思いを馳せています。

32歳で逝った父・・私は「おとちゃん」と呼んでましたが・・その年齢の2倍以上生きてきた私は、果たして父の望んだ息子になっているでしょうか・・
私に教師になって欲しかったのではないかと常々感じていたのは、たぶん親父が教師に未練を残していたからかもしれないし、父が成し得なかった想いが私に乗り移っていたのかもしれません。
公務員に奉職したことは父の想いの許容範囲だったかもしれませませんが、市議として政治の世界に足を踏み入れたことについてはどう思っているのか・・苦笑いしているかもしれませんね。

お盆だけ里帰りする父と兄の御霊・・
「もし可能ならずっとうちにいてくれてもいいのになあ・」・・思い返すと、子どものころからずっとそんなふうに思っていたように思います。

そんなことを想いながら、送り火を焚きました。

南無釈迦牟尼仏・・合掌・・

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熊野市議会議員久保さとし・・お盆に帰省できなかった方へ・・

帰省できなかった皆さんへ、熊野の風景を送ります。

七里御浜・・
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獅子岩
遊木港
新鹿
阿児崎
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: dsc_1815-1.jpg
波田須
大泊・清滝
新保色山
紀和町瀞大橋
五郷町石神神社
丸山千枚田
大丹倉
大又川
大馬神社奥宮
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: dsc_2280.jpg
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熊野市議会議員久保さとし・・「老後初心不可忘」歳だからと逃げるな!

近頃、「やっぱ歳なんですね」という言葉が口をつくようになりました。
確かに67歳という年齢は、体力的にも精神的にもきつくなってくる年齢だししかたないな・・と思っていたのですが、ある方からこんなことを言われました。

「歳のせいにするようでは、お前にもう先は無いなあ・・」

ムッと来ましたが、確かにできなかったことを年齢のせいにして逃げていることに気づかされたところです。

エイジハラスメントという言葉があります。
「もう歳のくせに・・」「若い人に任せればよいのに・・」「良い年をして・・」よく聞く言葉ですが、齢を重ねてきたことがまるで悪いことにように決めつけてしまいます。そしてそれは高齢者だけでなく、アラサー、アラフォーなどという言葉の内面にも秘められているのではないかと言われています。

先日FBでも紹介させていただきましたが、能の創始者「世阿弥」の言葉に「初心不可忘」というがあります。
そしてその中には、 是非初心不可忘 、 時々初心不可忘、 老後初心不可忘 の三つの初心がありました。

世阿弥が言う「初心」は「最初の志」に限ら手はおらず、人生の中にいくつもの初心がある・・若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心・・それらを忘れてはならないとしています。
それぞれの世代でそれぞれの初心があり、それはそれまで培った経験の上に初心があると言うことなのでしょうか。

特に老後初心とは、「老後になっても新たな取り組みを老後には老後の芸がある「せぬならでは手だてなし(しないでいるしか方法がないほどの困難なことに取り組め)」と説いています。
齢を重ねること・・それは決して恥ずべきことでは無く、そこに逃げ道を作るものでもない・・「老後初心不可忘」という言葉は時空を超えて、今の高齢化社会での人の生き方を教えてくれているのかもしれません。

私には、多くの出会いから知恵や知識、それから派生した多くのネットワークをいただきました。また、幼いころの悲しい出来事や、浮き沈みの激しかったこれまでん人生から多くの経験を積ませていただきました。
そしてそれは、何ものにも代えがたいアドバンテージとなっています。
しかし、それに満足することなく、まだまだ修行が足りないこと自覚し、これまでの経験に学びながら「人のこころ」がわかる「老後初心」を貫くこと・・改めて前を向くことをこころしたいと思います。

「歳のせいにするな」「歳だからと逃げるな」というある方の言葉から学ばせていただきました。

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