熊野市議会議員久保さとし・・11月23日のREQUIEM

一昨年の11月23日・・あの連絡を受けた夜に見上げた月は、冷たく光る真っ白な満月でした。

何も変わったこともなく、普通に一日を終えようとしていた時・・一本の電話で驚き・・そして悲しみに突き落とされました。

突然私の前に現れ・・「夢」を忘れかけていた私に「夢」を捨ててはいけないことを教えてくれた彼女が、忽然とこの世からいなくなってしまったのです。
「〇〇が事故で・・」と伝えてくれたのは彼女との共通の友人・・
偶然が偶然を呼んで必然として繋がってきた出会いが、その友人も巻き込んで、これからの未来を多くの可能性とともに、皆でいっしょに追っかけて行けるという確信を生んでいた時でした。

「既存の観念を根底から変えないと新しいことへのチャレンジはできない・・最初からダメではなくてやってみないとわからない・・そこで立ち止まったらそれでおしまい・・」

最初は鼻持ちならない人だなあと思っていた私が、いつのまにか彼女のワールドに引き込まれていったのは、その屈託のない笑顔や優しさだけでなく、毅然とした「夢」の実現へ確信をもって動いている姿でした。

「久保さんは何をしたいんですか・・」と聞かれて、何をしたかったのか忘れかけていた自分に愕然とし・・もう一度初心に帰って「夢」を実現するために何をするべきかを考え行動することを心がけるように・・彼女が亡くなって改めて彼女にそれを教えられたことに気が付きました。
私の人生において、年下のそれも女性に生き様を教えられた経験は後にも先にもありません。
「できることをできるかぎり」・・私の座右の銘でもあるこの言葉を超える「できないことはない」を実践されていたのかと思います。

もう彼女は帰ってきませんが、彼女がこの熊野で描いていた「夢」・・その夢の続きは漁業女子たちが追ってくれています。
私も彼女がこの熊野というキャンパスに描こうとしていた「絵」が現実のものになるよう・・漁業女子たちの活躍を見守っていきたいと思っています。

近未来・・喜びと達成感をもって彼女を偲ぶことができるよう・・合掌・・

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熊野市議会議員久保さとし・・子どもに見えている世界

先日、FB仲間の投稿を見ていてはっとしました。

まさにそのとおりですね。
孫達と遊んでいて、いろいろ気づかされることはあるのですが、その一つが、彼らには大人の私達が気付かなくなってしまっていることが見えている‥感じているということです。

「ジイジあれは何?」「ジイジどうしてこうなの?」・・子どもたちの見えている世界から与えられる子供たちの問いかけに対し、どうしてこんな風にものが見えているんだろう、こんなことに疑問を持つんだろうと驚く自分・・
そんな疑問に、いつしか大人の世界観に浸ってしまっている自分に悲しくなることもしばしばです。
私達大人がどこかへ置き忘れてきてしまった純粋な心からくる子供たちの「感」・・私達大人は、積み重ねた経験と言う先入観の中で失ってしまい、見えなくなっている「感」・・
感性、感動、感激・・等々・・

子どもの心をどこかに置き忘れてきた私たちは、その目が捉えているものを見ようとはしていないし、その耳に聞こえているものはきこえていないし、そして子供たちが発している言葉の意味も大人の物差しで測ってしまっている・・

そんな子どもたちに見えている世界はもしかすると、未来のこの国に最も必要なものなのではないか・・
前例とか先例とか言う大人の経験値で未来を描く事は、今の子供たちが望む未来ではないかもしれないとふと思いました。

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熊野市議会議員久保さとし・・GoTo後の地域経済

GoToキャンペーン・・新型コロナウイルス感染症により疲弊した、国内における景気・経済を再興させることを目的に、観光などの需要を喚起するために実施している経済政策・・ということは皆さんご存知で、既に利用されている方も多いかと思います。

制度自体の欠陥やいろいろ準備不足による不備も伝えられていますが、その効果は少なからず表れてきていると言われています。
その一つが、観光客の増加・・大きく減少していた観光客の数が飛躍的に増えていることは、鬼ヶ城や花の窟の駐車場に止まる他県ナンバーの数を見るまでも無いことですが、ここへきて、観光バスによる団体客も増えつつあるように見られます。
開放感からかマスクを着けない方々のマナーや、無症状者によるウイルスの持ち込みについての懸念は強く残ってはいますが、結果として、観光産業を活性化の大きな柱としてきた当地域においても、少しは明るい兆しが見えてきたようにも思えます。
また、観光産業以外の産業にも影響が出ており、春先これまでにない下落を見せていた、伊勢エビなどの高級海産物も、例年の価格を少し上回るほどになっており、GoToによる観光地での需要が高まっていることを示すものとされています。

ただ、すべてに良いことばかりではなく、カード決済やQRコード決済などのオンライン決済に対応できない事業者が置き去りにされてしまうことや、クーポンでの支払いにおいても、その換金についてのタイムラグがけっこうあるなど、零細事業者においてはその恩恵が少ないところも多いとお聞きします。
そして、観光産業への関わりが無い町中の商店や飲食店においては、以前として厳しい状況が続いており、飲食店等への卸売りを行っている事業者においても、売り上げの復活が見込めない状況であることから、極めて苦しい経営状況となっているところも少なくありません。

この地域の経済を支えてきたのは、この地域の経済構造の大半を占める小規模事業者の力も大きな要素であったことは間違いなく、GoToにより一部の経済が活性化したところで、それが地域のすべての経済の安定につながることではないことは言うまでもありません。
もちろん、今、Gotoによって潤うことができている事業所も、この支援策がいつまでも続くわけもなく、その後どうこの地域の経済を安定させるかは、やはり市の施策のありかたにかかっていることは間違いありません。
GoTo後の地域経済を見据え、いまこそ、市独自の支援策を再度構築して、小規模事業者をはじめとする市内事業者が生き残れる形を作っていくことが必要であることを、行政も民間の商業団体なども強く意識していかないと、支援の終わりが衰退の始まりにならないとは限りません。

そのためには、他地域の景気や事象に影響を受けにくい、地域内循環型経済の確立を目指すべきと私は思っています。
まずは、エネルギー資源も含め地域内で自給できる資源をしっかりと精査し、他地域への依存を少しでも減らしていくことなど、よりグローカルな取り組みが必要かと思います。
例えば、学校などの公的機関等への食材などの供給において、地産地消を核とした地域内での食材の確保を図るなどの施策を実施すること、そして、その供給体制の中に市内小規模事業者や農林水産業者を組み入れた仕組み作りが考えられます。
また、外貨を稼ぐための産品の販路については、景気の動向に左右されることの多い都会への依存から脱却し、地方と地方(ローカルネットワーク)による足らないところを補い合うネットワークの構築も有効かと考えます。

現金給付や商品券支援などの支援策も一時的な活性化を図るための一つの方法かと思いますが、それはあくまでも対処療法的なものであって、体力の弱い地方においては根本的な解決には至りません。

これからの地方には、先を見据えた経済の地域内循環の形や、ローカルネットワークをしっかりと構築していくことが必要ではないでしょうか。

この地域が生き残っていくための方法を皆で考えていきたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・他に選択肢がない

外に選択肢がない・・だからこれしかない・・
消去法での選択・・よくある話ですが、単純にこれがダメだったらこれしかない、というような選択が、近頃とてもよくみられるような気がします。

何事においても、多くの可能性を追求して、そのうえで最終決断をするというのなら良いのですが、少ない選択肢しかないという思い込みで、自分が気付かない別の可能性を見出そうとせず「あれがダメならこれしかない」としてしまう・・それがそれほど良い選択では無いとわかっていてもそれを選んでしまう・・そしてそのことを正当化するための理由を後付けしていく・・

そのことが、そのことに関わる多くの「もの・こと・ひと」に大きな不利益をもたらすことがわかっていても、その方向に進んでいってしまうことは、そこに関わる「もの・こと・ひと」の未来をも失わせることにもなります。

外に選択肢が無い・・ではなく、外に選択肢が無いのか・・と深掘りすること、もう一度調査し検討し、より良い選択肢となる事象を発掘し、選択肢を増やしていくことが、何事においても必要ですね。
そのためには知恵知識を得るための人脈・・多くのネットワークの構築も・・

禅問答のような話になりましたが、私自身も単純に「あれがダメならこれしかない」という選択をしないことを心がけようと思います。

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熊野市議会議員久保さとし・・市民が描く未来への指針

ある文献でこんなフレーズを見つけました。

「地方創生や地域活性化の究極の目的とは何か。それは地域の経済力を高めたり、観光客を増やすことではない。通過点としての数値目標と、最終的に地域で暮らす人々の生活の豊かさや幸福とは異なるはず。その地域に住む人が豊かで幸福を感じる地域を構築していくことが地方創生の到達地点」

まさに、そのとおりかと思います。

では、その地域に住む人が豊かで幸福を感じる地域を構築するためにはどうするべきなのでしょうか、そして何が必要なのでしょうか。
それは言うまでもなく、市民が欲する地域づくりを図っていくことであり、市民の声を施策に反映することなのですが、果たしてすべてにそれが実現されているのでしょうか。

地方行政の陥る大きな間違い・・・それは行政主導というトップダウン手法だと言われています。
では、何故そう言う状況に陥るのでしょうか。
それぞれの自治体で選ばれた首長(市町村長)は、多くの市民の支持を得てその役職についています。市議と違うのは市政の運営を委ねられた役職であって、執行権と言う市議にはない権利を有していることにあります。

そこで、陥るのが、自由に市の運営ができるという錯覚だと言われています。
ある文献によると、「多くの市民の支持を得てトップに立ったという事実が、自分が思い通り市政を運営して良いのだという錯覚を生み、独善ともいえるトップダウンの行政運営へとつながっていく・・そこに市民の声は届かなくなっていき、いつのまにか市民の思いとは乖離した行政運営につながってしまう・・」とあります。

市民との距離・・それが近いか遠いかによってその自治体の市民の位置づけが大きく変わり、市民が主役、市民本位の行政運営という言葉の重さも変わってきます。
各地の事例を見るまでもなく、行政(首長)と市民と距離が近いほど市民本位の市政が実行され、地域の活性化に成果をあげているとされています。

このブログで、何度も何度も「市民が主役とは・・」ということを述べてきました。
しかし、今策定しようとされている「第二次まち・ひと・しごと創生戦略」における市民の皆さんの意見はどこまで取り上げられているのでしょうか。

既に市の幹部職員の会議では、市長のこの計画への方針が述べられ、それに沿って計画づくりが始まっていると思われます。
それはそれで良いのかもしれませんが、各担当がどれだけ市民の意見を聞く機会を持てたのか、どこまで市民の意志を酌んだ計画素案を立案していくのかが重要であって、「熊野市の未来」というテーマに特化した市民の意見を聞く場も持たないまま作業に入ってとしたら、そこには「市民が主役」というフレーズはありません。

市民の皆さんが望む地方創生とは、行政が掲げる数値目標を達成することではなく、地方創生の理念でも述べられている豊かで幸福を感じる地域の創出だと思います。
行政が作り上げた計画がすばらしい計画であっても、それが市民の望む未来と乖離したものであれば、まさに絵描いた餅でしかありません。
また、仮に行政主導で策定された計画と、市民との意見交換のうえで策定された計画が、結果的にそれほど変わらないものであったとしても、その意味は大きな違いがあります。
「市役所が作って市役所が実行する計画」と「皆が意見を出して市役所がまとめそして皆で実行していく計画」とは、市民の意識が全く違うと言うことなのです。
自分達が関わって描いた未来への想いが詰まった計画は、他人事ではないものとして意識され、市民が同じ方向を向いて行政と連携しながら自らも行動してしていく「未来への指針」になると私は思います。

計画策定までそれほど時間が無い状況の中で、コロナを言い訳にせず、どうやって市民が望む未来への声を拾い上げていくのか・・どれだけ市民と想いを共有できることができるのか・・
今回の「第二次まち・ひと・しごと創生戦略」が真の熊野市の「市民が描く未来への指針」になるよう注視して行きたいと思いますし、私たち市議も市民の皆さんの声をしっかりと伝えていきたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・頑張るのは人のため、自分のため・・

近年出会いをいただいた方からこんな言葉をお聞きしました。
「人のために・・そんな重荷を背負って頑張ろうとすると、よけいなリスクやストレスを背負いこむことになる。それよりは、自分のために、自分が楽しくあることを目標に頑張ることが、周囲を明るくし、幸せにし、そして良い成果へと導く」

「自分のために頑張る・・」市議 の立場としてはとしてこれをそのまま受け入れることはできないのですが、確かにこういう考え方があっても良いのかなと思います。

そういえば、市職員時代、私を引き上げていただいた当時の市長は、私を県との協働組織に派遣する際「将来の自分の役に立つような仕事をしてこい。それが結果的には市のためになる」と言って送り出してくれました。
そして、私はその組織での仕事を通じて県や国の方々、そして民間の方々と多くの出会いをいただき、それが多くのネットワークとなって後の行政での仕事で大いに役に立ちました。

また、私の友人で地方で成功している企業家は「自分の会社のために頑張ることで会社が利益を上げ、会社に関係する地域の生産者が潤い、そして地域が元気になることが理想」と言っていました。
彼は「地域を潤すことは結果であって、目標ではない・・と考えると、大きなストレスを感じることなくいろいろなチャレンジができた。その結果、事業が軌道に乗り、そして自分の会社を取り巻く生産者が潤うこととなり、地域の活性化が果たされることとなった。最初からこの結果を導くために動こうとしていたら、思い切ったチャレンジはできなかった」と話しておられました。

もちろん自己利益の追求だけでは地域の利益にまで到達はしないかもしれませんが、大きなストレスを背負って人のために地域のためにと頑張るよりは、少し緩く自分のためだと割り切って頑張ることも必要かもしれません。
そして、市民の皆さん一人一人が、自分のために、自分が楽しくあるために頑張っていけば、その楽しさが塊りとなってこの地域が楽しい地域になってくのではないかと思います。

地域のためになること・・それは人それぞれが自分自身がおかれた分野においての成功を目指して楽しみながら頑張ることが基本であって、使命感、悲壮感をもって地域のためにと肩を張ってもなかなかそれは成就しないものなのかもしれません。

市民一人一人が自分、自分の家族のために頑張る・・それが地域の活力へとつながっていく・・「人のために」とか「地域のために」と気負うより、そのことのほうが活性化の力になるのかもしれませんね。

もちろん、私たち市議は自分の利益を追求するようなことは決してあってはならないと思いますし、市民の皆さんの幸福を追求するために行動・活動することが最優先であることは言うまでもありません。



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熊野市議会議員久保さとし・・夢の続き

私には「夢」があります。
熊野から出て行くことが「夢」だった子供の頃・・なぜか呼び戻されるように戻ってきたころは、高校・大学時代に得たものを全て失い「夢」と言うようなものは全く無く、ただただその日を送るだけの毎日でした。

そんな私が「夢」を持つようになったのは、市役所に奉職し20年後のことでした。
私が財務担当の係長とやり合っているのを偶然見た当時の市長が、人事を担当する係へ異動させ、その数年後企画担当係へ異動・・そこで、市長から与えられた仕事が、私にとっては人生を変えるともいえる出会いを与えてくれたのです。

その出会いによって人生には「夢」が必要であること、正しい「夢」を持つには正しい生き方をしなければならないこと、そして多くの知識と知恵を身に着けること、そのためには人との出会いを大切にすることを教えていただきました。

以来、私は「出会いは偶然ではなく必然である・・」という言葉を座右の銘に、多くの人との出会いをいただき、その方々の知恵や知識、情報をいただいて自分の目指すべき「夢」を描き追いかけてきました。
そしてその「夢」を実現するには、行動すること、人の話を聞くこと、そして自分の想いを伝えることということを常に心がけてきたつもりです。

市職員生活を終えたとき、それまで追い求めようとしていた「夢」が、約束を反故にされたことにより失われ、熊野市を去ることも考えていましたが、多くの人から差し伸べられた「手」によって、別の形で「夢」を追うことを継続することができています。
その「手」によって託されたこと・・それは私が思い描いている「夢」に賛同していただいた多くの人の「想い」に応えることと心しています。

しかし、今、議員活動の中でできること、できないことが明確になり、「夢」を実現することが今の立場ではできないことも見えてきました。
その「夢」とは・・現在の活動の延長線上にあるものであり、この熊野市、熊野地方の浮上・再生を果たすことができる思ってきたのですが、その限界がはっきりとしてきたのです。
ただ、熊野市が置かれている現状は私が思い描く「夢」ではないことは間違いなく、現状を肯定する行動・活動は「夢」の続きにはつながりません。

具体的に口には出すと、また「夢」が失われそうになるので言いませんが、この「夢」を追い求めるにはどうすれば良いのか・・
「夢」の続きの先にあるのは挫折か貫徹か・・そして「夢」は達成されるのか・・
ここが正念場ですね。


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熊野市議会議員久保さとし・・限界集落での暮らし

先日、旧知の人が住む限界集落へ行ってきました。
20年ほど前には20人ほどの人が住んでいた集落ですが、今では数人しか住んでいないとのこと・・
そんな集落に住んでいるご夫婦との久しぶりの再開でしたが、以前と変わらず暖かく迎えてくれました。
違っていたのは、ご主人が脳梗塞を患って以来稲作を断念ししたこと・・少し体が不自由なご主人を奥様が介護しながら、網で囲われた小さな畑で少しの野菜を作りながらの生活となっていたことでした。

いたって明るく元気で、突然の来訪者に嫌な顔一つせずに迎えていただいたのですが、しかし、そこでの生活は決して楽ではないことは改めて聞くまでもなくうかがい知ることができました。
週に2度ほど上がってくる移動販売車への買い物、定期的な診察ための通院、デイサービス・・歩くことにも支障があるご主人、膝や腰が痛いと言う奥さんが、車道の終点から急坂を200mほどを自力で歩いて行き来するしかない・・その姿を思い浮かべると胸が苦しくなりました。

「おばちゃん、この坂道えらいやろ・・」
「ま、時間かけて登ってきたらええし・・そんなに急ぐ身でもないしの (笑)」
「下の〇〇さんとこのおばちゃんは元気」
「ああ、あの姉さんは、火の始末が危なくなって施設へ入れられたわ」
「〇〇さんは」
「あの人は、水の(水道)の世話が出来んようになったんで、子供さんとこへ引き取られて行った」
「〇〇さんとこも誰もおらんようになったの」
「あの人も、のうなってしもたわ。長生きやったけどの」

「おばちゃんたちは、これからどうするん」
「わしらも、子どもが来いと言ってくれるけど・・しまいまで頑張るわ。ここは人に気い使わんでええさかいの」
「まだ私一人でもじいちゃん見れるし・・どうしようもなくないなったら考えるわ・・」
「ただの・・急病になったりしたら、皆さんに迷惑かけるんやないかと思うての・・それだけが辛いんさ・・」

ふと・・以前、私がお世話している大学生の社会調査実習でお世話になったことの思い出を話しだし・・

「あの子ら立派になったやろの・・」
「あのときは、わしらもまだ70くらいやった・・若い衆やった(笑)」
「茶粥焚いて、高菜握って食べさして・・美味いって言うとった」

また、集落の思い出が・・

「よおここに集まって、飲んだんさ・・」
「わしがすいたサンマの寿司は、みんな美味い言うての・・」
「そこの柚子で酢しての」

「いつのまにか みんなおらんようになってしもた・・」

笑顔を絶やさず話すその姿からは、全くと言っていいほど悲壮感は感じられませんでしたが、集落で一緒に暮らしてきた人たちが少なくなっていくことを話すときには、少しだけ寂しそうに・・
集落が消滅していく様を見続けなければならない老夫婦・・
でも、最後の最後まで、この方達はこの地で住み続けることを選ぶんだろうなと・・

「また来ての」・・
「うん・・また来るわの・・元気にしとってや」
「生きとったらの(笑)」

ちゃんと約束守って遊びに行かないと・・
今度行くときは、何か美味しいものでも買って行こう・・・

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熊野市議会議員久保さとし・・市政への市民参加

熊野市では総合計画、熊野市まち・ひと・しごと創生推進計画などの長中期計画を策定して熊野市の未来にむけての道筋を示しています。
しかし、果たしてそれが市民の皆さんが望んでいる未来なのでしょうか・・

先日ある限界集落に暮らす方と長話をしました。
そのとき「あんたは熊野市がどうなったらええと思とるん・・」と聞かれました。
そこで、いろいろ自分の想いを話したのですが、聞き終えたその方が「そうやって思っていることを言えるところがある人はええなあ・・わしらは山に向かって言うしかないしなあ・・」と笑いながら返されました・・
そして消滅していく住処の未来について、いろいろ考えていることを語っていただきましたが、それはとても興味深いものでした。

これまで、何度となく投稿してきましたが、ここしばらく熊野市において地域懇談会・タウンミーティング的なものは開催されている記憶がありません。
ということは、市民の皆さんの未来への想いを執行権を持つ執行部はどうやって受け止めているのでしょうか。
市民が期待する熊野市の未来像を執行部はどうやって把握しているのでしょうか。

近々、第二次まち・ひと・しごと創生推進計画が策定されます。
たぶん、いろいろな団体の意見を聞いて、有識者会議でそれを諮って・・議会に提案して・・という手順なのでしょうが、そこに個々の市民の皆さんの声はどれだけ込められるのでしょうか。
執行部に言わせると「まちづくり協議会」「各団体の会合」そして日ごろの職員の職務の中等で把握していると言いますが、そこで提起されるのは、目の前にある種々の課題や問題がほとんどではないかと推測されます。
特別に「熊野市の未来について」というようなテーマに絞って会を開き意見を求めない限りは、長期的視点に立った未来への想いや提言などはなかなか出てこないと思うのです。
言い換えると、いろいろな会議が開催された際、その他の項で「今度このような計画が策定されます。何か意見があればお願いします」的なことを突然提起しても、そこですぐにそのことに対する意見や提言が出てくるとは思えないのです。

また、「有識者会議に市内の産業界の代表を委員として任命して多くの意見を聞いた」とも言いますが、それは、各産業界の方々に提言を求め、それをまとめあげていくというスタンスなのでしょうか。
もし、有識者会議が、市が作ったたたき台と称する素案を出してそれに対して意見を求める形というものであるのなら、市の提案を概ね追認することを求めていることでしかありません。
そして、そのたたき台が市民の声をもとに出されたもの、反映されているものなのか・・・日ごろタウンミーティングも開催されていない現状ではそうとは到底思えないのです。

タウンミーティングを開催しないことについては、コロナ禍で、会合を開催するのが難しいから・・という言い訳がすぐに出てきそうですが、地域の再生に成功している自治体の多くでは、コロナ禍以前から頻繁にタウンミーティングを開催し、市の施策・事業の検証を市民とともに行い、そして新たな方向性を見出しながら、市民が真に望む地域を作り出そうとしています。
熊野市では何故そうした手法をとらないのでしょうか、とってこなかったのでしょうか。
今回策定されようとしている「第二次まち・ひと・しごと創生推進計画」においても、執行権を持つ行政として、もっと早いうちから市民の声を、未来への想いを聞く機会を設けていくべきではなかったのでしょうか。
熊野市の未来を伺う計画が、またぞろ行政主導で案が作られ、一部の人たちの追認で進められていくということが果たして良いことなのかどうか・・そしてそれを求められる有識者の方々も、市の未来に対して大きな責任を負わされることになるのではないか・・そんな気がするのです。

何度も言います・・市民が主役・・その言葉の本質は「市民が望む熊野市」を市民が率先して創ろうとすることだと思います。
行政はそれを発掘して実現する機関ということを意識し、市民の様々な声を整理分析して、そのうえで計画策定を行っていくことが必要で、行政が作った案を市民の代表に追認させるということではいけないはずなのです。
「地方の行政が陥ることに『役所はエリート集団』という思い上がりとも言えるものがある。行政は決して絶対的で唯一無二なプランナー、実行者ではないはずなのに、それがなんとなく浸透してしまっている・・それが「行政主導」というトップダウン的な形に陥っていく」と言われています。

いま、市議会では「新型コロナウイルス感染症対策特別委員会」を設置し、感染症対策だけでなく、ウィズコロナ、アフターコロナという観点から、熊野市の目指す未来を全く違った観点から提言していこうとしており、それぞれの議員が議員活動の中から提案すると言うことになっています。
私も、日ごろ市内各地を走り回っている中でお聞きしたいろいろな意見を整理して、それを提言に盛り込もうと思っていますがそれにも限りがありますし、それを市民の声として執行部が認めるかどうかはわかりません。

先進自治体の例に習うまでもなく、地域づくり、地域再生の基本にあるのは「市民の声を聞く機会」・・すなわちタウンミーティングなど市民の声を聞く機会を行政自らが頻繁に実施し、市民の声をボトムアップすることだと思います。

「ああしたら、こうしたらなと考えたりするけど・・わしらの考えなんて市の人から見たらアホみたいなもんなんかもしれんの・・でも、ちょっとは聞いて欲しいの」

市民の声を聴く機会をもっともっと増やしてほしい・・熊野市において市民の皆さんは望んでいないはずはありません。そして行政において、その機会を増やすことができないはずはないのです。

今回の計画づくりのみならず、今一度、「市民が主役」ということの本質に立ち返り、「市政への市民参加」ということを実現して行きたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・恩人の逝去

私は・・人との出会い・たくさんのご縁をいただき・・そのことを糧に生かせていただいてきました。
そんなご縁をいただいた方々・・私の人生に大きな影響を与えてくれた方がいて、私の人生の分岐点で後押しをしてくれた方がいて、そして私の生き方に見返りを求めることなく応援してくれた方がいて・・恩人ともいえる方々のおかげで今があると思っています。


そんな恩人の方の一人が逝去されました。
都会で営んでおられた建築業を還暦を期に終業し、故郷の熊野市に帰って親が残した農業を継承する傍ら、地域のためにと寸暇を惜しんで働き続けられた方・・
私がSeioさんとご縁をいただいたのは、熊野のソウルフーズである「たかな漬け」を世に出そうという試みに参加させていただいた時でした。そのとき、いろいろな意見が噴出する中で、それが商売として成り立つにはどうすれば良いかを冷静に聞いてこられたことがとても印象に残っています。

その際、当初市からの支援は得られないということになり、皆さんの夢がとん挫することも考えられた中で、自らが建てようとしていた倉庫を作業場として提供することを申し出ていただき、今の「飛鳥たかな生産組合」のスタートが可能となったのでした。
私も所属していた機関において「高齢者の社会参加」というテーマで事業を行っていたこともあり、その予算の中から少額を活用させていただいて備品類の調達を行ったことで、Seioさんとの距離が近くなり、それ以来親しくお付き合いさせていただくようになりました。

Seioさんはいつも「思い立ったら吉日」で、いつも先頭に立って地域のために働いていて、そこには地域への「無償の愛」がありました。
たかな生産組合の運営、地区内の放送設備や集会所の設備などの充実や、地区の氏神様である藪原神社の参道整備、地区内の用水路・排水路の整備等々・・数えきれないほどのものを手掛けられ残されたのです。
資材を自力で調達したり、ひとり労力を厭わず黙々と地域のために動き変わる姿は、地区の皆さんから慕われそして敬愛されてきました。私が市議選への出馬を迷っていた時「あのな・・あんたは(市議に)むいとるから」と後押しをしてくれ、選挙事務所の設営やマイク設備の工事などすべてを引き受けていただきました。

しかし、Seioさんから「ああしてくれ」とか「こうしてくれ」とか言う依頼を聞いたことはほとんどなく「期待しとるから」とか「頑張れ」とかいうプレッシャーも全くかけられたことはありません。
見返りを求めず、ただただ静かに応援してくれている・・逆に「何かいるのものはないか」と言われ、その言葉に甘えていろいろな機器や資材を貸していただいたことも再々でした。

昨年突然「田んぼ売ることになったんで・・」と告げられ、あれだけ心血を注いで育んでいた農地をなんで手放すのか理解ができなかったのですが、その時にはすでに体力に限界が来ていたことを自身が知り、奥様と相談の結果苦渋の決断をしたようです。
その後、入退院を繰り返しながらもじっとしていることを良しとせず、あれこれやっている姿からは、こんなにも早く逝去されることは想像もつきませんでした。
訃報を聞き駆けつけた自宅では、物言わないSeioさんが・・ただただ涙が溢れ、これまでの厚情にお礼を言うことしかできませんでした。

「あのな・・」という切り口で話し出し、思ったことは必ず実行する・・頑固という言葉がぴったり当てはまる・・奥様が、周りがブレーキをかけても耳を貸さず黙々と・・
人から揶揄されようと、正しいと思ったことはやり遂げる姿勢の根底には「地域のため」という信念が込められていました。

ご遺体に向かい、はたして私はSeioさんのように身を尽くして地域のために働くことができているのだろうか・・と自問しました。
市議という地位に胡坐をかいて、尊大になっていないだろうか・・思い上がっていないだろうか・・「あんたはむいとる・・」と言ってくれていたSeioさんの想いに果たして応えられている自分なのだろうか・・

現場主義、行動ありき・・朱に交わらず、地位に拘泥しない・・そして見返りを求めない

恩人の死を目のあたりにして改めて初心に帰ることを教えられたような気がします。

市民功績賞というものがあるのならSeioさんに贈りたい・・
でも今は、心からご冥福をお祈りすることしかできません・・
きっと、Seioさんの期待に応えることができるよう・・これからも精進していきます。
ほんとうにありがとうございました。

合掌・・

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