熊野市議会議員久保さとし・・令和3年度予算案

先日招集された市議会定例会で、令和3年度予算案が提案されましたが、その一般会計の総額は約137億円・・令和2年度の国の第3次補正に伴う新型コロナ関連の臨時交付金による補正予算を加えるとなんと141億円の規模となっています。
新市誕生後最大規模の予算であるとともに、同規模の自治体としてはとても大きな予算規模と言えます。

その財源の多くは、地方交付税や地方創生関連の交付金、前出のコロナ関連の臨時交付金、補助金などで賄われますが、いざという時のために蓄えている財政調整基金の取り崩しも行われます。

これだけの予算を組んで行われる事業ですが、果たしてどれだけ中身のある内容となっているのか・・無駄な事業は淘汰されているのか、パフォーマンス的なものでは無いのか、アリバイ作り的なものでは無いのか・・うわべの言葉に惑わされることなく審査していかなければなりません。
また、今回の予算案にはけっこう多くの新規事業が盛り込まれています。それが何を意味するのかも含め、しっかり準備して論戦を挑んでいこうと思います。

先日も投稿しましたが、メニューばかりが多くてもその中身が伴わなければ無駄遣いに終わることは言うまでもありません。
これまでも、多くの事業が実施されてきましたが、以前として市の活性化の目途はたっていません。
数字の上での成果を重視してきたはずが、人口減少、地域経済の衰退と数字の上でも見るべきものはありません。
これを全国的な傾向と片付けてしまっては、熊野市の衰退を仕方ないことと暗に認めてしまうことになります。

市民が望む市の将来像は何なのか、そのために必要な施策は何なのかということが地域づくりの基本であるとすると、やはり行政主導のまちづくりには限界があるのかと感じます。
「市民との協働とは、行政が企画立案したものを市民に与えるというものでは無く、市民から発生したものを行政が施策として形づけ、そして市民とともに実行していくもの。その財源として予算がある」

「市民が主役」という現市政のキャッチコピーを念頭にしっかりと審査していきます。

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熊野市議会議員久保さとし・・行政の資質

「材料が同じでも調理するものによって良い味になるとは限らない・・ということは、調理人の腕を試されるということ・・同じ材料で違った味を出すのも調理人の資質です」

これは、あるTV案組で有名料亭の板前さんが言っていた言葉です。

これって、まさに行政にも当てはまると思うのです。

地方として括られる自治体では、その多くが同じような状況に置かれていて、地域資源も大きな差はない・・そして差し伸べられている国の支援策は平等・・ということは、行政がその材料をどう活かしてどう結果を出していくか・・それは行政の資質、言い換えればそれを率いる首長の資質であるとも言えるのです。

やたら、メニューばかりを多くしても、その味が良くなければそのお店は繁盛しない・・
やたら、多くの事業を羅列しても、成果が出なければその自治体の活性化は果たせない・・
そう、調理人(首長)の腕が問われるということになります。

また「料理は自分が評価するものでは無く、お客様が評価するもの」と言います。
これを自治体に置き換えると「行政の評価・効果は、自己診断するものではなく、市民が評価するもの」と言えるのではないでしょうか。

この時期、日本中の地方自治体では次年度予算が編成され、それが年度末の議会で審査されます。
熊野市においても、いつもに増して多くの新規事業が提案されようとしています。
しかし、いくらメニューを並べても、それが実効性のあるものでなければただの無駄遣いに終わってしまいます。

これまでも数多くの事業が予算化され実施されてきましたが、その成果・効果はどうだったのか・・つじつま合わせの数値合わせで終わってしまっていないか・・
そんな検証も含め審査していきたいと思います。

市の活性化に、市民生活に良い結果をもたらすこと・・それはその自治体の行政の資質に帰するところが大きいということですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・リーダー(首長)とは

先日、児童虐待とDVというテーマの講演会を聴講させていただきました。
目からうろこの内容で、自分たちも無意識にパワハラやモラハラをしているのではないかと考えさせられました。

そんな講演の中で、とても心に残った言葉がありました。

安全な大人とは
 子供の話に耳を傾ける
 共感して、まず受け止める
 一緒に話し合いながら考える
 良いお手本となる
 子供が「自分の味方」と感じられる人となる
 一つの対処法を全員に当てはめようとする「支援」は、支援者側の都合を優先しているやり方となる

なるほどと思いながら聞いていて、ちょっと言葉を置き換えるとこんな風になることに気が付きました。

信頼できるリーダー(首長)とは
 市民の話に耳を傾ける
 市民に共感して、まず受け止める
 市民と一緒に話し合いながら考える
 市民の良いお手本となる
 市民が「自分の味方」と感じられる人となる
 一つの対処法を市民すべてに当てはめようとする「支援」は、行政の都合を優先しているやり方となる

人への対応は、いかなる場面でも同じということ・・そんな風に思いました。

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熊野市議会議員久保さとし・・リーダーを選ぶこと

東京五輪組織委員会会長人事が問題になっていますが、その中で「密室で行われている人事」ということが大きく取り沙汰されています。
組織内での「・・さん以外にいない」「・・にお願いするしかない」ということでのことなのでしょうが、では、「・・にお願いするしかない」という選択は、どういう基準から生まれるものなのでしょうか。

このことについては、ある政治学者が「今の体制を作ってきた人たちが、その方達の価値観で次を選ぼうとすることが常態となってしまい、違った価値観を排除しようとするところから起きる」と言われていました。
また「現体制の中で強者の倫理が大勢を支配してしまって、真理より固定概念が勝ってしまう」とも言われていました。

「〇〇さんしかいない」という言葉が有力者の方から出て、そしてその「〇〇さん」がリーダーとして選ばれていく・・そういう風潮は珍しいことではありません。
そして、一度選ばれたリーダーが自分たちの価値観に適う人であれば、「だれも代わりはいないから〇〇さんに頼むしかない」という考えがその方達の中で固定化され、そして新しい人材の台頭を排除していくことになります。
そして、その固定概念による価値観が、次世代に必要な新たな芽を摘んでしまい、変革や改革を妨げていく・・そういうことは遠い世界のことではありません。

一部の人たちの価値観でリーダーは選ばれるものではない・・
そうは言いつつも、そうなってしまいがちな世相・・「他に誰もおらん・・」ということは、誰が決めることなのでしょうか。
今一度私達も考えてみたいですね。


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熊野市議会議員久保さとし・・へき地医療に真摯に向き合う

2月11日に放送されたNHKの「せんせい!おかげで生きとられるわ~熊野灘・町の診療所の冬日記」・・地域医療の最前線で奮闘される医師「平谷先生」の日常が描かれていました。
淡々と気負うことなく患者さんと向き合っている先生の姿は、いつもの先生の様子を存じ上げている私でも心を打たれるものがありました。

この荒坂地区は、診療所開設以来何人かの医師が赴任しては離任していきましたが、平谷先生は熊野市出身ということもあり、二十数年間この地にとどまり診療を行っていただいています。
しかし、そのご実態は、映像から拝見する以上にたいへんであることは間違いなく、ましてや、荒坂診療所、五郷診療所をかけ持っておられるご苦労は想像を超えるものと思います。

さて、近年地域医療の現場・・特にへき地医療の現場は年々厳しい状況となっていることは、全行的に大きな問題となっていますが、高齢化率の高い熊野市、中でも高齢化が急速に進んでいる漁村や山村では、その多くが無医地区となっていて、日ごろの診療はもとより、緊急時の対応など医療行政の大きな課題となっています。

私は以前へき地医療の担当係長を務めていたことがありました。
その時の荒坂診療所には、平谷先生の前任医師が着任されていて、その先生にへき地医療の課題について多くのことを教えていただきました。
その後、広域での医療福祉連携構築のための外郭団体に出向し、当時ではまだ珍しかったネットによる医療情報の共有などによるへき地医療体制の充実にも関わったこともあります。

そんな経験から、現在の熊野市におけるへき地医療への対応は、とても危険な状況にあることを何度となく訴えてきました。
しかし、無医地区となっている地域への行政の対応は、週に1、2度の半日診療などを他の診療所の医師に兼務させることで繕っているのが現状です。

「医師を確保すべく努力しているが医師不足で確保できない」というのが行政の言い訳ですが、医療雑誌への募集広告、熊野市ホームページでの募集で果たして努力していると言えるのかどうか・・また、募集条件が委託開業という形であり、その内容も他の地域に比して決して良い条件とは言えないままです。

私が懇意にしている、東京の総合病院の院長を務められた医師によると、人口が著しく減少している地域での開業は経営面でのリスクが大きく、勤務医での募集でない限り確保は難しいであろうということでした。
そのことを市議会の一般質問でも何度か質しましたが、それを前向きに取り入れてくれることは全くありません。
まさか、医療対応に「費用対効果」を事業実施の指標にしているとは思いませんが、付け焼刃の対応だけでは中山間地域に住む市民の安全安心を担保することはできません。

今回の放送を拝見しながら、荒坂地区の皆さんのように、医師が常駐していただいてる「安心」は、何事にも代えがたいものであるということをつくづく感じました。
週に一度や二度、それも限られた時間しか医師がいない状況では、疾病の早期発見、治療だけでなく、緊急時の対応にも大きな影響を与えることになっています。

まさか・・見てなかったということはないとは思いますが、今回の放送を見て、市長始め市の担当者の皆さんはどういう感想をお持ちになったのでしょうか。
平谷先生に感謝・・ということだけで終わってしまっているのではないでしょうか。
先生のあの活動による市民への「安心」の享受を他の地域にも広げなければならないと考えてくれているのでしょうか。

子どもの頃、市立の診療所に勤務する看護婦の息子だった私は、何度も往診で呼び出されて出て行く母を見てきました。
あれから60年近く経った現在、母と同世代の皆さんからは「あんたのお母さんにお世話になったんサ」という声をよくかけられます。
それは、地域の医療がいつも身近にあったことを証明する言葉なのかと感じます。

無医地区の皆さんは、いつも不安とともに生きています。
平谷先生の存在は、荒坂地区の市民の皆さんにとってはとても大きなものであると共に、すべての熊野市民にも先生のような存在を確保することが必要であると言うことを教えてくれました。

このことをしっかりと受け止めて、へき地医療のありかたを今一度考えていただきたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・臨時議会

2月10日に開会された臨時議会では、東紀州環境施設組合の設置について、新型コロナウイルスワクチン接種体制に係る補正予算について議案提案され、それぞれ、産業建設常任委員会、総務厚生常任委員会で審議され議決されました。

東紀州環境施設組合の設置については、産業建設常任委員会で審議され本会議で議決されました。当議案の議決により、今後、他市町の議決を待って、広域可燃物処理施設の2市3町による建設にむけて動き出すことになりますが、本議会を代表として2議員がこの組合議会に参画して議論に加わることとなります。

私が所属する総務厚生常任委員会で審議された、新型コロナウイルスワクチン接種体制に係る補正予算案については、ワクチン接種に係る当面必要な予算確保にむけての議案で、全会一致で議決しましたが、国からの情報がまだまだ不足していると言うことで、委員会からは今後状況が判明しだい議会への情報提供を求めるなどの要望も行いました。

いずれも重要案件と言うことで、判断材料となる詳細な情報・資料が欲しいところですが、とりあえずは現状示されるものを基に判断させていただきました。
どちらも、市民生活に直結するものですので、今後その推移を注意深く見守っていきたいと思います。

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熊野市議会議員久保さとし・・やってみないとわからない

3年前・・人のご縁を強く感じた日でした。

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このとき集まってくれたのは、熊野商人塾同窓生達、かって我々に強烈なインパクトを与えてくれたSさん、現在熊野に刺激を与えてくれているTさん・・そして、私達を再び結び付けてくれた今は亡きYUMIさんでした。

あのとき、もう一度皆で何か起こしたいなと思った気持ちは心の奥底でくすぶったまま・・
このまま消してしまって良いのか・・
この3年間私は何をしていたのか・・
ただただ、枠の中でうろちょろしてただけではなかったか・・
なんとなく、自分に自分でタガをはめてしまい、もう限界だと決めてしまっていて、結果的に何も変わらないし変えられなかったのです。

かって、熊野商人塾に集った面々は、皆一様に熱い想いを持っていたはずだし、今でも心のどこかで持ち続けているはずです。
そう信じると、皆でやればまだまだやれることがあるのではないか、やらなければならないのではないか・・今日3年前のFBの投稿を見ながら強くそう思いました。

何もしないで、このまま緩やかな衰退を容認するのか、それともとにかくやってみるのか・・
皆の力を結集してもうひと頑張りすれば、この地域はきっと大きく変わります。
コロナ禍の時代が、もしかすると新しい熊野を生んでくれるかもしれません。
この時代の転換期に、したり顔で分かったようなことを言っているだけでは取り残されることは明白で、評論家のように結果論を解説しているだけでは何も生み出しません。

いまこそ、神様が与えてくれた千載一遇のチャンスととらえ、皆で知恵を出し合って、力を結集して時代を先取りしていく行動を起こすことが必要です。

YUMIさんが言っていた「やってみないとわからないじゃないですか」という言葉が思い返されます。

結果を恐れて何もしないと何も生まれません。
「やってみなければわからない」・・「できることをできるかぎり」
行動していきたいですね。

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熊野市議会議員久保さとし・・市民と行政の距離感

よく「行政の発想ではなく民間の発想で・・」とかいう言葉を耳にします。
特に、コンサルタントと称する人たちや、行政の考え方を否定する方々がよく使う言葉ですが、果たして行政側の発想と民間の発想のどこにそんな大きな差があるのでしょうか。

情報が氾濫し、いろいろな考え方が錯綜する中で、行政の中にいても民間的な発想で事業を行おうとすることはよく見られますし、市民の方々とのコラボで成果をあげている事例は枚挙に暇がありません。
しかし、やはり行政と市民との距離感が感じられるということは、何かそこに大きな壁であったり、溝がある・・なにか根本的に相いれない原因があるということなのです。

ではそれは何なのでしょう。

私は、それは行政が決めている「決まり」というものの運用が頑なであるときに、大きな壁や溝となって市民との間に「距離感」として表れてくると思っています。

行政運営の基本には、法や条例というものがあり、そしてそれを運用する規則や要綱というものが存在します。
そしてそれぞれの条項には、概ね逐条解説というその条項が意味するもの、解釈を示したものがあり、それに従って行政の事業は運営されて行きます。

しかし、その運用において、その解釈を狭義に解釈するか広義に解釈するかで、その内容は大きく変わってくるのです。
言い換えると、頑なに条項の表現通り運用するか、それとも柔軟に対応して運用するかで、そのもたらす結果は全く違ってくると言うことなのです。
そして、そのことが「市民と行政の距離感」につながっていると私は思っているのです。
それが前出の「行政の発想」とか「民間の発想」とかいう対義的な言葉として現れ、あたかも全く違った世界かのような形でお互いを分断してしまう・・
それが顕著になったとき、お互いに不信が生まれ、その距離がますます多いなっていくのではないでしょうか。

私が行政の中にいたとき、ある自治体で民官連携をうまく進めていた先輩から言われたのは、「できない理由を探すのではなく、できるためには何が必要かを探すことから始めろ」という言葉でした。
なかなか、すべてにそうはいきませんでしたが、できるかぎり「できる方法」を考えながら仕事をしてきました。
手前味噌と言われるかもしれませんが、その結果が、市民との皆さんの距離を感じなくなり、協働という言葉が実感できるようになっていたと思っています。

法や条例を守って職務を遂行することは当然のことであって、これを逸脱することは行政、民間を問わず許されることでなはありません。
しかし、その中でどう目いっぱい動くことができるかを考えることで、思考も行動も活発になりより効果のある結果が生まれるものと考えます。

市民と行政の距離をどう縮めていくか・・それが真の意味での市民と行政の協働につながります。
よく公務員的発想と言われる「できない理由をまず考える」ことではなく、「どうすれば市民が幸せになるか」ということを基本に「できる方法」を考えていくことが必要ですね。


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熊野市議会議員久保さとし・・地域行政・地域経済のリノベーション

「リノベーションとは、既存の建物に大規模な改修工事を行い、用途や機能を変更して性能を向上させたり付加価値を与えること」

このリノベーションの言葉を、行政や地域経済に置き換え、これまで既成概念で固定してしまっていた思考から脱却した考え方で、この地域のもつポテンシャルをもっと引き出すことが必要ではないかと考えています。

いつからか閉塞感が漂う「地方」と呼ばれる過疎地域においては、その活路を金太郎飴的なコンサルお薦めの事業や、思い込みや思い付きから発生した付け焼刃の施策や事業において活路を見出そうとしてきました。
しかし、このコロナ禍の中で、それがいかに脆弱で不安定な基盤の上にたったものであったかは、私が言うまでもなく現実として明らかになってきたのです。

地に足をつけて、地域の英知を結集して、未来にむけての確固としたビジョンと戦略によって地域の再生を推進していく・・これは地方創生という政策の根本にあったものと思いますが、多くの自治体においてはそれを財源としか考えず、ただただ目先の100円を追う事業展開に陥ってしまった・・そんな論評も聞こえてきます。

さて、わが熊野市はどうなのでしょうか。
人口抑制策、産業振興等々他の自治体と比べてもそん色のない事業が連なっています。
しかし、その結果はどうなのかというと、やはり人口減少に羽歯止めがかからず、産業全体の地盤沈下は止まりません。

先日の全国の仲間たちとのZoom会議で「コロナ禍で社会構造の変化が起こっている現在、これまでの思考を一度リセットして、地域づくりに関する施策・事業のありかたを再考し、行政のみならず地域経済など、地域社会構造全体のリノベーションを考えるときではないか・・」というご意見をお聞きしました。

私も同感で、今こそこのピンチをチャンスととらえ、地域行政、経済の構造改革・リノベーションを実施する時ではないかと考えています。
もちろん、コロナ禍において発生している事象についての対応が喫緊の課題であることは言うまでもありませんが、その一方で、この地域における「ひと、もの・・」それぞれがどうあるべきかを皆で考え、この熊野という地域が生き残っていけること・・皆の英知を結集して考えていくときかと思います。

熊野市のリノベーション・・必要だとは思いませんか。
私は今しかないと思います。


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熊野市議会議員久保さとし・・官の商法からの脱却

儲けから先に入ると後が続かなくなる・・
以前親しくしていただいたローカルビジネスの先駆者の方から聞いた言葉です。
ようは「

捕らぬ狸の皮算用・先に儲けばかり計算しているようでは成功はない」ということです。

そして「市町などの地方自治体が出資したり、経営に関与したりしている事業体の多くが、経営が行き詰るという話は枚挙にいとまがない。初期投資はもちろん、施設の償却に係る経費さえも行政財産として負担されるにもかかわらず、いっこうに経営が軌道に乗らないという事例が大半である。その原因は、マーケティングを軽視した販売戦略や、どこにでもあるような金太郎飴的な商品開発、そして行政主導による経営等々の外、利益が出なくても行政がその負の部分を負担してくれるという運営側の姿勢による」と分析されていまいた。

私が前職時代商業担当として、この地域の物産を地域外に売り込むことを行っていました。
その物産の中には、公的企業からの商品もあったのですが、その手の商品についてあるバイヤーに言われたのは「こういう商品はほぼもれなく消費者目線で見た価格設定ではない。儲けをから逆算した価格設定になっている」との言葉でした。ようは、その商品の価格を利益をまず決めて経費を積み上げた設定にしてしまい、消費者が感じる適正価格になっていないということでした。
その商品から得られる利益を基にその事業体の種々の経費を賄っていくことを前提に価格を決めていく手法は、確かに一見正しいようには見えるのですが、これは適正な価格帯にその商品があるかどうかが前提になるものであって、どこにでもあるような商品が思惑通り高価格で売れるとは限らないのです。
また、その商品がどこにでもあるような企画の商品ならなおさらです。

また、ある食品卸メーカーの商品内覧会に出展した際のことですが、食品卸のバイヤーとある公的企業の営業担当者の商談で、その営業担当に価格調整権限が持たされて無いことが分かりました。バイヤーから「大量に取引しても値引きは無いの」と聞かれ「その価格で販売すると決められているから値引きは行えない。おまけなら上に聞いてみる」と答え「それでは商取引にならない」とあきれられていました。
すべてが、しゃくし定規、そして営業に交渉幅を持たされていないと言うことで、ビジネスチャンスをみすみす逃してしまった事例でしたが、業販価格というものの理解・知識が、価格を決めるプロセスの中に無く、個人であれ、業販であれ公平平等という官の考え方が商取引の大きな障害になっていたのです。
今では決してそのようなことは無いと思いますが、机上の計算で価格を設定し、それを一律に行使していくようなことでは、商売として成り立たないということなのです。

地方の多くの自治体では、行政が直接関与して物産振興に携わる公的企業体なるものが存在します。(熊野市では「熊野市ふるさと振興公社」や「熊野市観光公社」)
そして、赤字が続いている状況であっても「雇用を確保」「産業振興の拠点」としての意味が大きいとして、ひたすら補填を継続しています。
しかし、行政本体が地方交付税や交付金、過疎債に財源の多くを依存している現状の中で、いつまでも高額な補填を実施していくことが不可能になる時期が来ないとも限りません。
少なくともこのコロナ禍で、国の財政状況はひっ迫することが予想されています。
都市偏重の国勢の中で、いつ何時地方交付税、交付金のありかたや、過疎債などの制度の見直しがやりだまに挙げられるかわかりません。
また、今貴重な財源となっている地方創生関連の交付金についても、時限的とされるこの政策がいつまで続くかは不透明です。

今こそ、その経営を見直し、しっかりとしたマーケティングに基づく経営戦略を構築していくことが必要であり、そのためには、前出の先駆者が言う「行政主導からの脱却と経営形態の根本的な見直し」が必要であることは言うまでもありません。
そして、目指すところは「自立」ということを明確にしていく必要があるのかと思います。
それが、破綻・廃業という最悪の結果を逃れる共に、ひいてはそれがこれら事業体に勤務する方々の雇用を守ることにもつながるのではないかと考えます。

このままでは、事業体にとっても行政にとっても決して良い結果は得られないと思います。
コロナ禍という経済構造を変えてしまうかもしれない事態の中で、これを良い機会をとらえて抜本的な改革に乗り出すことが必要ではないでしょうか。

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