熊野市議会議員久保さとし・・日本人の心

先日、ハロウィンとかの大騒ぎ・・渋谷で軽トラひっくり返したり、道頓堀川へ飛び込んだり・・を見ていて、私達が子供の頃教えられた道徳とか常識、秩序っていうのはどこかへ行ってしまったとつくづく感じました。

しかし「今の若い人たちは・・」と思いつつ、ふと気が付いたのが「この子達って私達の世代が親・・私達を見て、そして私達に学んで大人になってきた子達・・」ということでした。

「今、若い人たちの多くが「自己本位」「自己中心」で生きていて、そのくせ「責任」については「他人のせい」にするという風潮がある」と、先日ある世評評論家の方がTV番組でおっしゃっていました。
では、そんな若者を生み出してしまったのは誰なのでしょうか。「こんな子供に育てた覚えはない!」という声が聞こえてきそうですが、まぎれもなく、このような若者を作り出してしまったのは、私達大人なのではないかということなのです。

偉くなるための学歴社会から始まった競争社会は勝ち組負け組を鮮明にし、一方で額に汗することなくバーチャルの世界で大儲けをする・・子供たちの一番なりたい職業が「ユーチューバー」・・そんな世界から落ちこぼれたら、やることは群衆に紛れて大騒ぎをすることしかない・・
そして、そんな若者を作り出してしまった大人たちは、性懲りもなく平気で嘘をつき自己を擁護し、責任はすべて人に擦りつける・・それが毎日TVで政治問題として流されている・・そんな中で健全な青少年の育成ができるわけもなく、刹那的な生き方しかできない若者予備軍が次々と生まれてしまう・・

そんなことを思いながら、「日本人の心」とは果たしてこんなものだったのかと考えました。
日本人は森羅万象に神が宿るという自然を崇拝し、敬い、慈しんできた民族であったことは、現代につながる神々への信仰からも見て取れます。
そしてその想いは、人を敬い、慈しみ、人情を育み、そして愛するということにつながっていたはずなのです。
「結」という言葉があります。
昔の日本には、助け合って生活の営みを維持していく「結」という制度やそれに類似した制度があって、人と人の強いつながりの中で、人を思いやるという心が息づいていました。それは、日本人の中に脈々と息づいてきていた、自然から学んだ「人を敬い、慈しみ、人情を育む」ということから始まっていたのではないかと思います。
それを、忘れかけてしまっていることが、今の殺場とした現代の風潮を生み、そして刹那的な若者を生んでしまっているのではないか・・

いま私達日本人に求められることは、本来多くの日本人の心の深淵に息づいていた「敬い・慈しみ・愛する心」を取り戻すことなのではないのかな・・と、ふと思いました。

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熊野市議会議員久保さとし・・日本人の心 への2件のフィードバック

  1. 白坂春奈(ヨシケン) より:

    こんばんは。
    悩むたびに反芻し、元気付けられている古代日本国から伝わる宝物です。

    十七条の憲法より(現代語訳)

    第一条
    一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

    第七条
    七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

    第十条
    十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。

    • くぼさとし より:

      コメントありがとうございました。
      聖徳太子・・まさに日本人の守るべき心を示していたんですね。
      政治家の端くれとして、人として・・心しないといけないですね。
      ありがとうございました。

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