熊野市議会議員久保さとし・・「正師を得ざれば 学ばざるに如かず」

「正師を得ざれば学ばざるに如かず」曹洞宗の開祖道元禅師のお言葉です。
正しい師匠の元に学ばなければ、学んでいないことも同然・・という意味ですが、果たして今の私達は、その正しい師匠を得ようと欲してしているのでしょうか。
欲していたとしても、その師匠に巡り合うための努力をどれだけしているのでしょうか。

以前も書いたことがありますが、私自身、師匠と呼べる人の最初の方は、私に私の生きるための道筋を指し示してくれた某大企業の重役の方で、「出会いは必然、偶然ではない。出会いをないがしろにする人に成功はない」というその教えは、私の生き方として心の中にしっかりと残っています。
その方との出会いは、当時熊野市の顧問を務められていたその方の担当を当時の市長から命じられたことでした。
後にお聞きしたところでは、私に組織外の方と触れ合わせることで、一皮むけさせよとしたとのこと・・そのご配慮が無ければ今の私は無いし、そして師匠との出会いが無ければ今の私は無いと思っています。

もう一人・・行政に携わる者としての限界を超えることを教えてくれた師匠がいます。
奥飛騨の面積だが広い村の職員として、様々な施策を企画しそれを実践し・・全国でも注目される成功事例を実現してきた方です。
公務員によくある否定的発想にとらわれることなく、「できない」ではなく「どうしたらできるか」かを考えることを教えていただき、以来そのことをこころして公務員の限界に挑んできたつもりです。
そのかたとの出会いは、いろんな出会いからいただいた出会いの副産物・・それも必然的に私の前に現れてくれたように感じています。
そして今、その方には私の政治にかかわる者の先輩として、いろんな心構えを教えていただくということも・・これも出会いは必然であるという証明なのかもしれません。

さて、今熊野市でいろんな思いを持っておられる方たち、そして私の後輩たちは、果たして「正師」と呼べる人に出会う機会を得ているのでしょうか。
「自分にとって正しい道は人に指し示されることではなく、自分で求道していくべきもの」ということを言う方もみえますが、それはそれとしてやはりヒントであったり、きっかけを与えてくれる師匠、正師が必要ではないかと思うのです。

先日、後輩たちとの会話の中で、「おっしゃることはわかりますが・・でも・・」「うちの市では無理ですから・・」という言葉が頻繁に出てくるのが気になりました。
自分達で自分達の枠をどんどん狭めてっている・・そんな気がしてなりませんでした。
それは、生きた情報や生きた言葉を発してくれる方への出会いが無い・・外との接点が以前にも増して少なくなっていることから来ているのではないかとも思ったところです。

先進事例などは現場に行かなくてもSNSで見ることができる・・人の話は本を読めばわかる・・ということでは、本当に心に響くような言葉や事柄を得ることはできないのではないか・・道を指し示してくれる、ヒントを頂ける人との出会いはないのではないかと思います。
職場内における能力向上研修などのようなことも大切だとは思いますが、それだけではただ組織人としての資質向上だけにとどまり、新たな発想や知恵を生み出す人材の育成にはつながらないとも考えます。

幸い私は必然とも思える「出会い」の中で「正師」と呼べる人を得て今があります。
師匠に誇れる弟子ではありませんが、それなりにいろんな世界に目を向けることを意識することを心がけています。
それは、その時に外に出していただいて、そういうチャンスをいただいたことが始まりでした。
後輩たちに、今こそそういうチャンスを与えてあげてほしい・・今を超える人材を育成することなく熊野市の未来はないのですから。

熊野市の未来に花を咲かせるために・・できることをできる限り・・
自意識に過剰にならないよう・・自分本位にならないよう・・独りよがりにならないよう・・を戒めとして

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